さて、ひと呼吸いれてから語らせてくれ。
『タコピーの原罪』って、ただのトラウマ漫画じゃない。むしろ、地獄の中に差し込む“一筋の光”こそが読者の胸を打つ。
で、その光の筆頭が——そう、「純也」なんだよな。
成績優秀、性格も良くて、クラスメイトからの人望も厚い。
「完璧超人」という言葉がここまで似合うキャラ、なかなかいない。
でも、てるてる的には、彼の本当の魅力は“優しさの奥行き”にあると思ってる。
今回は、そんな純也のキャラを通して、弟・直樹との関係性や、優しさの本質を徹底的に掘り下げていくぜ。
ネタバレも含むから、心の準備をして読み進めてくれよな!
純也という男 ― 完璧超人は本物か?
純也ってキャラ、登場した時点で「え、なんだこの完璧男子!?」ってなるよな。
まず学力。テストは常に100点、学力テストで都道府県1位。
こういう設定ってフィクションではありがちだけど、彼の場合は「だからこそ」嫉妬やプレッシャーの対象にもなってるところがリアルなんだ。
しかも勉強だけじゃない。
彼女もいるし、バイトもしてるし、コミュ力も抜群。
友達付き合いも良好で、クラスメイトからの信頼も厚い。
「こんな高校生いるかよ!」ってツッコミたくなるけど、作品内ではこの完璧さが一種の“対比”として効いてくるんだよね。
ただ、完璧な人間なんていない。
その証拠に、純也にはゲームが苦手っていう、ちょっとした“抜け”がある。
モンハンを彼女に手伝ってもらってるってエピソード、てるてる的にはめちゃくちゃ好き。
なんか、ほっとするんだよな。
「全部できるわけじゃない。でも、できないことは誰かと一緒に楽しむ」
それこそが人間らしさだし、彼の魅力でもあると思うんだ。
弟・直樹とのすれ違い ― なぜ「お兄ちゃん」と呼ばれないのか?
純也のパーフェクトっぷりは、一歩間違えば「反感を買う」要因にもなる。
それを誰よりも感じていたのが——そう、弟の直樹だ。
てるてる的に言わせてもらえば、純也と直樹の関係って、まさに“優等生と劣等感の象徴”のような関係性なんだよな。
直樹からすると、兄の純也は「何でもできて、誰からも好かれる存在」。
そんな兄を前にして、自分はいつも比較され、勝てる要素がない。
気づけば「お兄ちゃん」とも呼べなくなり、心の距離がどんどん開いていく…。
これ、めちゃくちゃリアルだよな。
兄弟間での劣等感って、理屈じゃないし、環境のせいでもない。
ただただ、「自分は劣っている」と思い込んでしまう。
だけど、ここで終わらないのが純也のすごさ。
彼は直樹の異変にちゃんと気づくんだよ。
そして、ただ指摘したり叱ったりするんじゃなくて、“話をしよう”とする。
それができる人間って、実はこの物語の中で、ほとんどいないんだよな。
タコピーの世界観って、基本的には「人は話し合えない」ことの恐ろしさがテーマだったりする。
だからこそ、純也の「対話の姿勢」は異質であり、希望なんだ。
自分が“完璧”であるがゆえに、弟の不安や嫉妬に気づけるって、相当な器だぜ?
てるてるの心にも深く刺さったシーンだったよ。
純也の優しさ ― 「正しさ」より「寄り添い」
さて、てるてる的に『タコピーの原罪』でいちばん尊いのは——純也の「対話力」だと思ってる。
なぜかって? この物語、基本的には“誰もが孤独”で、“誰もが自分の正しさ”にしがみついてる世界だからさ。
でも純也は違った。
彼は「自分の正解を押しつける」ことをしない。
たとえば直樹との会話でも、「どうしてそんなことをしたのか?」
「いま、何を考えているのか?」って、ちゃんと“聞く”んだよな。
この“聞く姿勢”って、簡単そうでめちゃくちゃ難しい。
自分の感情があると、つい言いたいことばっかり先に出ちゃうもんな。
でも純也は、相手の目線で、相手の感情に寄り添おうとする。
それが彼の最大の優しさであり、希望だったんだと思う。
しかも、それを偽善っぽくなく自然にやれてるのがすごい。
「ちゃんと話そう」「わかり合おう」って言葉が重く聞こえないのは、
彼がその場しのぎじゃなく、心から“相手を知ろうとしている”からなんだろうな。
『タコピーの原罪』に登場する多くのキャラは、「会話が成立しない」人たちだった。
でも、そんな世界の中で唯一“対話ができた男”——それが純也。
このポジション、めちゃくちゃ大事だし、だからこそ彼は“物語の光”になれたんだ。
価値観ににじむ誠実さ ― 「贈り物は自分の金で」
てるてるがぐっときた純也のセリフのひとつに、
「大切な人への贈り物は、自分で稼いだお金で買いたい」ってのがあるんだ。
これ、さらっと言ってるけど、めちゃくちゃ“誠実”だと思わないか?
彼女とのお揃いの指輪にしてもそう。
自分の気持ちをちゃんと形にしたくて、でも親に頼るんじゃなくて、自分の責任で届けたい。
これは単なるオシャレ心じゃなく、「気持ちに責任を持ちたい」っていう大人の価値観なんだよな。
もちろん、彼はまだ高校生だ。
年相応に髪を染めたり、母の反対を押し切ってバイトを始めたりもする。
そういう“ちょっと背伸び”したい気持ちと、相手を思う誠実さが共存してるのが、実に人間らしい。
てるてる的に言わせてもらえば、
「好きな人に、自分の手で何かをあげたい」って気持ちって、めちゃくちゃ純粋で熱いんだよ。
しかもそれが、見栄じゃなくて“相手のため”になってる。
この辺からも、純也の「対等な関係を築く」意志の強さが見えてくるよな。
こういう描写があるからこそ、彼の言葉や行動に信頼が持てる。
「口先だけじゃない」って、読者も感じられる。
誠実さって、こういうところに出るんだよな。
純也という“希望” ― 物語に差し込む一筋の光
『タコピーの原罪』って、基本的にはドロドロした人間関係や、救いのない現実を描いた作品だ。
大人も子どもも、それぞれの正しさや欲望に囚われて、「お話ができない世界」が舞台になってる。
そんな中で、純也だけが「話せる人間」だったってのは、マジで奇跡だと思うんだ。
彼は特別な力があるわけじゃない。
でも、誰かの声をちゃんと聞こうとする、相手にとっての“安全地帯”になろうとする、
そういう精神的な優しさを持っていた。
これが、どれほど貴重だったか——物語を読んだ人なら、きっとわかるはず。
直樹との関係もそう。
傷ついた弟を責めるでもなく、突き放すでもなく、寄り添って、一緒に考えようとした。
そんな兄がそばにいたら、救われるよな…。
読者だって、「こんなお兄ちゃんが欲しかった」って思ったはず。
タコピーやしずかちゃんが抱えていた闇の深さに対して、
純也の存在が“光のコントラスト”になっていた。
しかもそれは、「強さ」ではなく「やさしさ」によるもの。
それが、てるてる的にはこの作品最大の希望だったと思ってる。
誰かに「大丈夫だよ」って言ってもらえたら、ほんの少しだけでも生きやすくなる。
そんな“当たり前のこと”ができる純也こそ、この作品にとってのヒーローだったんじゃないか。
てるてるは、そう信じてる。
まとめ:優しさは“正しさ”じゃなく“寄り添うこと”
『タコピーの原罪』は、救いのない世界の中で、ほんの少しの優しさがどれだけ重いかを教えてくれる作品だった。
その中で、純也の存在だけが「救い」として機能していた。
それは彼が「正論を押し付ける人間」ではなく、「相手の気持ちを聞こうとする人間」だったからこそ、だと思う。
正しさだけで人は救えない。
でも、“寄り添ってくれる誰か”がいれば、また前を向ける。
そんな当たり前だけど大切なことを、純也は無言で教えてくれた。
てるてる的には——
「お話ができる人間」って、それだけで誰かの人生を変える可能性があると思ってる。
純也がいたから、この作品を読み終えたあと、ただの絶望じゃなく、
“ちょっと生きてみようかな”って思えた人もいるんじゃないか?
そんな風にして、アニメもマンガも、俺たちの心を救ってくれる。
だからこそ、何回でも裏切られていい。
だって、たまに本気で救われるんだからな!
それじゃ、次のアニメでまた会おうぜ!